ブラウザー、とはいってもWebベースのメーラーに用があったのだが、そういった子細はさておいて、ブラウザーのウインドウをつかんでぐるぐると大回転させていた。
もちろん、それで返事が早く届くと考えていたわけではないが、そのようなことは決してないのだが、人事を尽くして天命を待つというほどの用件でもなかったので、そのぐらいの悪あがきをしておくのが適切なように感じられたのだった。
「いつもより回ってるのかな、それは」
「いろいろな意味で余計に」
いつの間にか背後に立っていた黒瀬さんの問いかけに、俺はきちんとしていないセンテンスで手短に答えた。『きちんとしたセンテンス』フェチの課長が不在のときは、みなこうした話し方をしたがるのだった。
仕事が速いのかあきらめが早いのか、二人とも残業するタイプではなかったので、黒瀬さんと薄暗いオフィスで時間を潰すのははじめてかもしれなかった。しかし、本当にはじめてのことかどうかはわからない程度に俺は不真面目だったし、おそらく黒瀬さんもそうであろうという期待もあったから、確認をするわけにはいかなかった。まったく仕事というものは、どうしてこう手足を縛られたような感覚ばかりもたらすのだろうか。
「シコースキーみたいだね」
「えっ、何ですか? 野球ですか?」
「うん」
「シコースキーですか」
そう、と言って、嬉しそうに肩をぐるぐる回し始めた黒瀬さんを半分振り向いた状態で眺めて、それだったら辰吉じゃないかなあ、と思った。
隙あらば野球の話をねじ込んでくることで知られている黒瀬さんは、ちょっと失礼、と俺の隣の席に着いて、携帯電話を机に載せた。
「まあ、返事もこないみたいだし、ちょっとテレビでも観ましょうよ」
「はあ」
明らかにワンセグとは違った何かに接続しているようだったが、いちいち突っ込むのも面倒だったので、いちいち突っ込まないことにした。
やはり野球だった。
「もう9回か」
「そんな時間なんですねえ。向こうも早く帰りたいだろうになあ、なんでメールの一本にそんな時間がかかるんだろうなあ、あの人は」
顔も声も知らない『あの人』をほのかに罵ってみたが、気分は晴れなかった。オフィスには天井があるからだろう。ドームに引っかけてうまいこといったら黒瀬さんは喜んでくれるだろうか。黒瀬さんが喜んでも、俺が嬉しくないか。
「この抑えのピッチャーがね」
俺の苦悩を知ってか知らずか、黒瀬さんは訥々と語った。
自分と同い年のその選手は、目立たないが長年いい仕事をしていて、いい仕事をしているという部分を除けば、自分と似たところがある気がして、親近感がわくのだという話だった。
「それってつまり、年が一緒ってだけですよね」
「それはほら、あれよ」
「何ですか」
「いや、まあ、そうね。でも、もう三十九だよ」
「へえ、そうは見えないですね」
「ピッチングが若いんだよ」
「ピッチングが若い、ですか。それは、なんかかっこいいですね」
「そうだね、かっこいいよね」
彼はその日もいい仕事をしたようで、試合が終わった。
いい仕事をしていない俺たちは、男二人で肩を寄せ合って、三インチかそこらの画面をのぞき込んでいた。
相変わらずメールは届かなかった。届いたことにして帰ろうかとも思ったが、タイムカードの野郎がいやがるものだから、それは少々危険をはらむ計画だった。しかし、なんということだ。タイムカードもメールも、使う人間である俺の命令を一切聞こうとしない。もうゲームセットだ!
インターネットではね、と黒瀬さんがニコニコしながら切り出した。
「ヒーローインタビューのことをヒロインって言うんだよ」
「ああ、なるほど。ところで」
「何?」
「黒瀬さんは何で残っているんですか?」
「タイムリー欠乏症」
「えっ」
「いや、嘘。明日休みだから、ちょっと残業を。三時間半経ったから、もう帰るよ。お、ほら、メール来たよ」
「あー、関係ないメールですわ。くそっ!」
タイムリー欠乏症くらいは知っていた。これと似たようなむかつきなのではないだろうかと、想像上の野球の監督にしかめっ面をさせてみて、それもあまり慰めにはならなかったので、飴の包みを破った。