実りのない懐疑

熊は期待する

 いろいろと嫌なことが続いていて、疲れる。

 そのようなときにすることといったら、刺激物を飲み食いしたり、泥のように眠ったりということくらいで、まったく生産的ではない。

 しかし、この生産的か非生産的かという思考法に従う必要があるかといえば、ないのであって、生産的であるのが普通であるかのような語法は、少なくとも私の日本語からは駆逐されて然るべきであるし、あなたにとってもそうであることを願いたい。

 そこで、○○的、非○○的という言い方で、意味をひっくり返してやろうということになるわけで、まずは「生産的」を辞書で引いてみると、新しい物事を生み出したり、すでにあるものを発展させたりするさまを指す言葉であるとのことだった。

 生み出したり発展させたりしないものといえばなんだろうかと考えていた私の脳裏をよぎったのは、トキやパンダのような、やる気がないという点において非常に親しみを感じさせる動物たちの姿であった。

 そこで、今日のような過ごし方を絶滅危惧的と呼び、なんかいろいろ用事を片付けちゃったなあ、という過ごし方を非絶滅危惧的と呼ぶことを提唱したい、と結ぼうかと思ったのだが、提唱するとはすなわち、新しい考え方を人に先立って示すということであるから、非常に非絶滅危惧的でけしからんということになる。だから提唱はせずに、私以外の人々の意識の低さに期待することにした。

 パンダも何かを期待しているのだと、そのとき初めて気付いた。そういえば、そんな顔だ。

三時間半

 ブラウザー、とはいってもWebベースのメーラーに用があったのだが、そういった子細はさておいて、ブラウザーのウインドウをつかんでぐるぐると大回転させていた。

 もちろん、それで返事が早く届くと考えていたわけではないが、そのようなことは決してないのだが、人事を尽くして天命を待つというほどの用件でもなかったので、そのぐらいの悪あがきをしておくのが適切なように感じられたのだった。

「いつもより回ってるのかな、それは」

「いろいろな意味で余計に」

 いつの間にか背後に立っていた黒瀬さんの問いかけに、俺はきちんとしていないセンテンスで手短に答えた。『きちんとしたセンテンス』フェチの課長が不在のときは、みなこうした話し方をしたがるのだった。

 仕事が速いのかあきらめが早いのか、二人とも残業するタイプではなかったので、黒瀬さんと薄暗いオフィスで時間を潰すのははじめてかもしれなかった。しかし、本当にはじめてのことかどうかはわからない程度に俺は不真面目だったし、おそらく黒瀬さんもそうであろうという期待もあったから、確認をするわけにはいかなかった。まったく仕事というものは、どうしてこう手足を縛られたような感覚ばかりもたらすのだろうか。

「シコースキーみたいだね」

「えっ、何ですか? 野球ですか?」

「うん」

「シコースキーですか」

 そう、と言って、嬉しそうに肩をぐるぐる回し始めた黒瀬さんを半分振り向いた状態で眺めて、それだったら辰吉じゃないかなあ、と思った。

 隙あらば野球の話をねじ込んでくることで知られている黒瀬さんは、ちょっと失礼、と俺の隣の席に着いて、携帯電話を机に載せた。

「まあ、返事もこないみたいだし、ちょっとテレビでも観ましょうよ」

「はあ」

 明らかにワンセグとは違った何かに接続しているようだったが、いちいち突っ込むのも面倒だったので、いちいち突っ込まないことにした。

 やはり野球だった。

「もう9回か」

「そんな時間なんですねえ。向こうも早く帰りたいだろうになあ、なんでメールの一本にそんな時間がかかるんだろうなあ、あの人は」

 顔も声も知らない『あの人』をほのかに罵ってみたが、気分は晴れなかった。オフィスには天井があるからだろう。ドームに引っかけてうまいこといったら黒瀬さんは喜んでくれるだろうか。黒瀬さんが喜んでも、俺が嬉しくないか。

「この抑えのピッチャーがね」

 俺の苦悩を知ってか知らずか、黒瀬さんは訥々と語った。

 自分と同い年のその選手は、目立たないが長年いい仕事をしていて、いい仕事をしているという部分を除けば、自分と似たところがある気がして、親近感がわくのだという話だった。

「それってつまり、年が一緒ってだけですよね」

「それはほら、あれよ」

「何ですか」

「いや、まあ、そうね。でも、もう三十九だよ」

「へえ、そうは見えないですね」

「ピッチングが若いんだよ」

「ピッチングが若い、ですか。それは、なんかかっこいいですね」

「そうだね、かっこいいよね」

 彼はその日もいい仕事をしたようで、試合が終わった。

 いい仕事をしていない俺たちは、男二人で肩を寄せ合って、三インチかそこらの画面をのぞき込んでいた。

 相変わらずメールは届かなかった。届いたことにして帰ろうかとも思ったが、タイムカードの野郎がいやがるものだから、それは少々危険をはらむ計画だった。しかし、なんということだ。タイムカードもメールも、使う人間である俺の命令を一切聞こうとしない。もうゲームセットだ!

 インターネットではね、と黒瀬さんがニコニコしながら切り出した。

「ヒーローインタビューのことをヒロインって言うんだよ」

「ああ、なるほど。ところで」

「何?」

「黒瀬さんは何で残っているんですか?」

「タイムリー欠乏症」

「えっ」

「いや、嘘。明日休みだから、ちょっと残業を。三時間半経ったから、もう帰るよ。お、ほら、メール来たよ」

「あー、関係ないメールですわ。くそっ!」

 タイムリー欠乏症くらいは知っていた。これと似たようなむかつきなのではないだろうかと、想像上の野球の監督にしかめっ面をさせてみて、それもあまり慰めにはならなかったので、飴の包みを破った。

Pは出たけれど

 取り出すのが億劫、という理由で、ポイントカードは好きではないので、明らかに還元率の高い家電量販店のもの以外は極力持たないようにしているのだが、それとは別に、メンバーズカードという代物もあって、こちらを拒絶すると変人のそしりを免れないから、結果的にはカードの束ができる。

 メンバーズカードがポイントカードを兼ねているものについては、もはや何が目的なのか判然としなく、ポイントが溜まりましたね、と言われても、知らんがな、としか応えようがない。

 その一歩先を行くのが、通販サイトのポイントで、存在しているという感触がもはや皆無であるから、わざわざメールで残高や期限を知らされると、大変な世の中になったものだと感じていたこともあったが、単純に鬱陶しくなってきたので、その手のメールは受信箱に現れないように設定してしまった。

 買い物する段になって、ポイントがありますぜ、と言われれば、黙々と消費し、それ以外は一瞬たりともその存在を意識することがない。つまり買い物によって存在が確定するということになって、いよいよ気味が悪い。

 もう一歩先に進むとするならば、金銭との結びつきや、数値での表現という桎梏から解き放たれる方向に進むべきであるから、それはつまり、favoriteやLikeといった、インターネットに氾濫するノイズに相当するものであり、とうとう私たちは、自らポイントを発行する側に立たされようとしているのかもしれない。といったわけで、ここまで読んだ人には私から1ポイント進呈するし、読んでいない人には2ポイント進呈する。そして、誰に知られることもなく、永遠に増減を繰り返す。

重大な小用

 男性用小便器のてっぺんに、「人がいないときでも、水が流れることがあります。」と書かれていた。

 私はまず、便器にそのような事務的な言葉を記すという行為に違和感を覚えた。それが排尿に付随する違和感でないという自信が確信に変わったそのとき、しかし事はそう単純ではないと、ようやく気付いたのだった。

 この言葉からまず感じとれるのは、もはや人間の生活圏においては水の流れ方は徹底的に設計されているという自負である。それを驕りとみるか進歩ととらえるかは、この際問題ではない。

 一度下された命令に基づいて機械が淡々と水を流し続けるとき、私たちはその水流からどれほど人間の存在を感じ取ることができるだろうか。差し出した手にたちまち吹き付けられた泡状の石鹸の感触が希薄に感じられたのは、まさに石鹸が薄かったためか、そのようなことを考えていたためか、私には判断が難しかった。

 朝には決まっていたはずの髪型の、見る影もない変わり様を鏡で捉えた私は、さらに重大な問題に気付いた。先程の疑問を拡大してやると、この世界は何者かによって行われている壮大(あるいは些細)な実験であるという可能性を誰も否定することができないという有名な思考実験につながっていくように感じられたのである。

 ハンカチを取り替えてくるのを忘れたせいばかりでなく、私はもはや心中穏やかではいられなかった。「人がいないときでも、水が流れることがあります。」などというのは、昨日今日知ったことではないのだ。何年も前から、そこかしこで見かけていた字句なのだ。それがなぜ、今日に限って……。

 席に戻ると、急に眠くなってきた。実験の終わりが近いのだろうか。週末より一足早く、終末がやってくるのだろうか。このまま終業時刻が訪れないくらいなら、いっそそれも悪くないかもしれないと、私は目を閉じた。開いていたくなかった。

温存

 どこか遠くへ行こうと思って電車に乗ってみたら、すぐ眠くなってしまって、そのまま眠って、やがて目が覚めたころにはもう、遠くへ行こうという気持ちがなくなってしまっていて、仕方なく次の駅で降りてみて、面白いものなどなにもなくて、コーヒーを飲んで、本を読んで、帰ってくるというようなことが何度かあって、そもそもの出発点である、どこか遠くへ行こうという気持ちが実は、私の心のどこかに何者かが偽りのストロボを焚きつけることによって私の脳内に生じた仮初めの幻覚なのではないかという疑いを抱かずにはいられなくなり、しかしその場合の何者かというのはこちらの世界からは干渉し得ない存在である可能性が極めて高いのであるから、幻覚が生じるまでの過程において私にできることは何もないのかもしれないのであって、どこか遠くへ行きたいと思ったときにはじめて、有効な懐疑を差し挟む余地が生じて、またそれが私に与えられた唯一の機会であるということになりそうだと最近考えていて、それで今日は、目が覚めて、さて、どうしようかな、と考えはじめた矢先に、いや、どうにもならない、お前はどうにもならないのだ、お前のような人間がどうにかなるはずがないのだという強力な自己暗示をかけることに成功し、無事数度寝のはてに夕方まで眠ることができた。

 どちらにしろ何も得るものはないのだが、平日は家を出るたびに何かを失っているような気がしているから、使い減りしなかったという点においてのみは、有意義な一日だったのかもしれないけれども、私を温存することにどれほどの意味があるのかは、私にはわからない。

 台風が近づいているとかで、生暖かく不穏な空気が、ゆらゆらとあたりを漂っているようだった。

 わたしの目の前にある柳腰からも、そのような気配が年中伝わってくるので、台風のやつもエロいのだと考えざるを得なかった。

「エスカレーターとかけまして」

 柳腰の上の方から、ヤバい言葉が発せられた。

「おっ」

 お嬢ちゃん、その先は行き止まりだぜ……。

「百物語とときます」

「カイダンが回ります」

 こんなことしたくない、したくないのに! と思いながらハエを叩き潰したときと同じ快感が、わたしの脳髄を突き抜けていった。脳髄ってどこだか知らんけど。想像上の脳髄だ。

「ちょっと!」

 振り向きはしなかったけれども、彼女の笑っている様子は思い描くことができた。彼女もまた、わたしのドヤ顔を、敢えて見ようとは思わなかったのだろう。

「けっこういい眺め」

 返答を求める風ではなしに、彼女がつぶやいた。

 わたしたちは小高い丘のようなところに立っていて、そこはショッピングモールの巨大な建物への入り口であるとともに、憩いの場でもあるようだった。

 図抜けて高い建物が無いせいか、周囲の空がよく見えた。天気のいい日だったら、ああ、空だ、という程度のことしか考えなかったかもしれないが、一面のグレーに塗りたくられた空間を見せつけられると、これから大変なことが起こるのだ、やはり空はデカい、と感心させられた。

 そういった状態だったので、休日とはいえ、客足は今ひとつのようだった。それで遊びにきたのだった。わたしの母親が、仕事帰りにここを車で通らざるをえないから、帰りの足は心配なかった。

「行こうよ」

 わたしよりも空に感心させられることが多かったらしい彼女に声をかけると、ううん、とどっちつかずの返事をされた。

「ほら」

 とわき腹をつまむようにして引っ張ると、ふふ、と息をこぼして、彼女も何かを諦めたように、その身を軽々と翻した。

 建物に入ると、気温と湿度が急に下がって、さわやかな感じがした。ものを食べたり品定めしたりするには、この方がいいだろう。

 しかしわたしたちは、何も散財しようと思ってこの場を訪れたのではなくて、暇と若さを持て余していただけだから、さわやかな空気を押し付けられるのは、資本主義の傲慢である、とわたしは思った。

「上から見ようか」

 どこかひんやりとした声でそう言った彼女の後を追って、わたしはまた回る階段に乗った。

「涼しいね。エアコンとかけまして」

「人間関係とときます」

「……なんか嫌な感じがするんだけど」

「そのこころを押し殺すことによって、みなどうにか生きています」

「ちょっと!」

 登りは後、下りは前、という男役を演じているのは、わたしが彼女を受け止められることはあっても、その逆はないだろうということを、お互いになんとなく、感じ取っているせいなのかもしれなかった。

エルゴノミクスの彼方

 当方肩こりKey募集という経緯を経て、キーボードと新しいユニットを結成する運びとなった。というと深刻なRSIを想像されるかもわからないが、そういうわけではなく、人に言わせると肩がこっているらしいので、もう少しエルゴノミクスを考慮したキーボードを使ってみようかと思い立っただけのことである。

 近ごろは家庭の無線化を進めているので、今回はBluetoothでエルゴノミクスというゲテモノキーボードをさがしてみたのだったが、Microsoftからややエルゴノミクスなやつが、数え方が難しいのだが4SKUほど出ているのみのようだったので、その中のひとつを買った。

 両端が吊り上がったような形状をしていて、指をホームポジションに載せると自然と脇が開くという程度のエルゴノミクスで、3Dではないのだが、それでも気分的には楽しくなった。

 もともと私はキーボードを選ばないたちで、どのキーボードを使っても、さほど打鍵の精度や速度には影響がないような気がしているのだが、唯一例外があるとすれば、それは買ったという行為の正当化を求められている、例えば今のような買った直後であって、これはもうこのキーボードはなんと打ちやすいのだろうと驚かざるを得ない。この喜びがはたしていつまで続くものか、まだなんともいえないが、このような小さな変化を意図的に起こしていかないと、私の日常はとても生きられないのだった。

 キーボードもそうだが、最近は自分が機械の都合に合わせるのが無性に腹立たしく思えるようになってきて、字が小さいとか音が小さいとかいうことが気になって仕方がないのだが、これは明らかに加齢によるものであるから、エルゴノミクスのみをもってしては解決し得ないさだめであって、つまりいろいろと諦めるしかない。

眠れる細胞

 この季節に限っては、ビッグスギの番組も観たくないし、大杉栄にも共感できない。そんな名前だから、と言いたくなる。それにボル派の云うことにも一理あるのではないかなどと腑抜けたことを考えてしまうくらい、頭がぼんやりとしている。

 テレビでタイガーマスクを再放送していたので、ああ、こりゃ花粉カットによさそうだな、と観た。

 あながち冗談ともいえないのは、最近の花粉症対策グッズはずいぶんと過激になってきたので、活動家なのか花粉症なのかキン肉王家なのかわからない格好をした女の人を見かける。あれならもう、フルフェイスのヘルメットや虎の覆面でも大差ないだろう。

 大型の機械や自動車を操作する人や、医療関係の仕事をしている人は、眠くなる薬を飲めないのかもしれないが、私はそういった事情がないので、一日二錠の薬を飲んでいる。平気の平左で事情と二錠をかけてしまうくらい、頭がぼんやりとしている。ついでに言っておくと、二条城で二錠錠剤を飲む、は少しも言いづらくない。

 数ヶ月にわたって気怠い状態が続くのは、端的にいえばあまり気分のいいものではないが、四月の夜に、生暖かい風を浴びながら、水の中を歩くように、半分眠ったまま外を彷徨う感覚は、秋口になると、懐かしく思い出されるようなこともあるので、我ながらまったく身勝手なものだ。

 桜が散ってしばらくすると、この戦いにも休戦が訪れるきまりになっているので、まるで桜が仇であるかのように、早う散れ散れと念じながら、その下を歩いている。それでいて見上げる気力はないという、まったくのスリーピングセルである。

屹立する灰色

 誰も顧みることのない、ただそこにある、日常を縦に貫くだけの存在としての、どこにでもあるような電柱に、私は肘の先から手のひらまでをついて、体を預けていた。

 腕へと仄かに伝わってくる熱は、電柱の芯から発せられているように感じられた。ずっと触れていると低温火傷を生じるのではないかという気がしたが、アスファルトに寝転がるよりはずっとましなはずだった。しかし、いっそそうしてしまった方が楽なのかもしれないという思いが、そのころの私の胸からは離れることがなかった。

 ただならぬ熱気が、立っている顔の高さまで立ち昇ってくるようだった。いつから関東はこう暑くなってしまったのか、気象庁からは納得のいく説明が得られていなかった。名前に象がついているせいか、彼らにはどこか鷹揚としたところがあったし、ねずみ色のスーツだと思っていたのも、実はぞう色なのかもしれなかった。

 官僚機構に付き物のミッシングリンクに挑んでいた私の前に現れたのは、鼻が長いわけでもなければ尖った嘴を持つわけでもない、二人の若者だった。

 中学生か高校生か、大人か子どもかはっきりしない、十代半ばの男女二人組が、私という不審な人間を、遠巻きに眺めていた。

 男が黒っぽくて女が青っぽい服を着ている、という程度のところまでしかわからなかったのは、私の視界の九時の方向に現れた二人が、やがて十二時の方向に浮き上がり、そうかと思えば六時の方向に伏せているようにも見えるという、ひどい眩暈のせいだった。

 この眩暈の特異なところは、平衡感覚が損なわれるばかりでなく、地面を踏んでいる感覚まで失われてしまうということであって、それはまるで、ヒートアイランド現象がアスファルトの融点を上回る域にまで達したかのような錯覚を与えるのだった。

「大丈夫ですか」

 義務感に突き動かされたのか、男の子の方が私に声をかけてきた。すると、思ったよりも彼らは近くにいるのかもしれなかった。そう考えると、そのように見えた。

「大丈夫です」

 私はそう答えてみたが、そう信じてもらいたいというわけではなかった。大丈夫であろうとなかろうと、放っておいてもらいたいだけだった。何を以って「大丈夫」とするのか、私という人間がもはや「大丈夫」の枠から外れてしまっているのではないかと、若者に因縁をつけるような大人にはなりたくなかった。

「どこか悪いんですか」

 女の子の声がした。こうして電柱に寄り添っている姿を、リビドーの減退した男の儚くも淫らな願望の現れと受け取られてはいないかと、その点だけが気がかりだった。

「眩暈がするんです」

 リビドーから離れるために、私は本当のことを言った。眩暈というのは極めて主観的な経験に過ぎないから、このようなことを他人に話しても、どうにもなりはしないのだが、首の後ろがちりちりと熱く、電柱に触れた前腕部にじっとりと汗の感触があり、そうしたことを意識の片隅に追いやるためにも、何か言葉を発するのは悪くないように思われた。

「病院に行きますか」

「残念ながら、病院の帰りです」

「じゃあ、その病院に行きますか」

「わからないから帰れと言われたのです」

 その場にいる三人とも、どのような表情をしているのか、私には知る術がなかった。

 ただじっと地面を見つめて、それが揺れるのを確かめている内に、私の他には、誰もいなくなってしまったようだった。

 無死満塁から火の出るような当たりのサードゴロを打ったかのように、眩暈はいつも、唐突に終わりを告げた。つまり前進守備を敷く必要がない程度に、私に対して優位を占めていた。

 顔を上げると、水色のワンピースが、道を曲がるところが見えた。すると、思ったよりも彼らは近くにいたようだった。

 近くという言い方は適切ではないかもしれなかった。

 そのワンピースには、見覚えがあった。

 しかし、それを着ていた人についての記憶には、やや曖昧なところがあって、二人で外を歩いていたときに、不審な男を見かけたことがあったようななかったような、主客の入り混じった記憶の混濁は、眩暈に勝るとも劣らない奇妙な感覚を、私の足元にもたらした。

 だが、彼らが九時から十二時、そして六時へと自在に時を駆けて見せたように、因果の流れも、観察する人間の都合によってどちらへも向き得るのか、あるいは、因果が流れていると考えること自体、私の妄想に過ぎないのかもしれなかった。だとすれば、足元が頑丈であると期待することも、無知蒙昧の発露でしかない。

 かつて彼女が描いたような気がしないでもない風景画の中にあったようななかったような電柱に、くたびれた男が寄りかかっていたとしても、だから驚くには値しないし、私はその絵に、『屹立する灰色』という題を付けることにした。というのは、そのような気分だったからだ。

岩をも通す

 歩いたからといって痩せるわけではないとわかってはいたものの、歩くこと自体が体重を増やすこともなさそうに思われたので、おれは歩いていた。

 そうとは気づかれない程度にウォーキング仕様のスニーカーも買っていた。しかし走るほどの気概は持ち合わせていなかった。生来備わっていなかった。三十を超えたアスリートが地蔵呼ばわりされているのを見かけると、おれは初めから地蔵に生まれるべきだったのではないかと思わずにはいられなかった。

 初老の男が、道端に植えられた木にコンパクトデジタルカメラを押し付けるようにして写真を撮っていた。ちゃんとマクロ撮影モードにしているのか気がかりだった。多分していないのだろうなと思った。しかしその方が初老の男らしい写真になるのかもしれないなと思った。年はとりたくないものだと思った。

 珍しく平日に休みをとってみたものの、いざその日が近付いてみると、何もすることがなかった。その点では土日と変わらなかった。

 だから、歩き出した原因は単に体重の増加だけではないのだと、どうやらどうしても体重の一件を認めたくないらしいおれは、言い訳を繰り返しながら歩いていた。

 自転車に乗った小学生くらいの子どもが、自転車に乗っていない小学生くらいの子どもの後ろをふらふらと走っていた。何かを象徴しているようだったが、おれが教育について考えても何の発展性もないのだから、ガキは邪魔だなあという方に意識して思考を捻じ曲げた。

 するとどうしたことだろう、みるみる内にガキが目障りになってきた。

 次の角で曲がった。

 通ったことのない道だった。通る必要がないからだ。いざ通ってみると、やはり何も気をひかれるようなものはなかった。通る必要がない道と存在する必要がない道との間には、いったいどれほどの道の可能性があるのだろうかと、道道考えながら歩き続けた。道という漢字がゲシュタルト崩壊して、レインコートを着た子どもが猫車でおれの首を運ぶイメージが展開された。レインコートは黄色で、猫車が赤、おれの首は青かった。おれは「あーあ」という顔をしていた。子どもの顔は見えなかった。フードをしっかりとかぶった、きっとお利口さんだったのだ。

 おかしなことを考えていると、ピッチが上がるらしかった。ずいぶんと早足になっていた。止まるきっかけがなかったので、そのまま歩いた。

 このようなつまらない道の両側にもびっしりと民家が立ち並んでいるというのは、よくよく考えてみるとおそろしいことだった。持ち家願望・強迫観念・同調圧力が三位一体となって、これほどのことをしでかしたのだ。大変な時代に生まれてしまったものだと思った。地蔵のひとつもないというのに、こんなに家ばかりある。

 いつまでもこうして歩いていてもくたびれるだけだと、おれはまた角を曲がって、遠くに見えるマンションをランドマークにして、少し大きな通りへ向かうことにした。ところが道というやつは好き勝手な方向に伸びていやがるものだから、せっかくのランドマークが右に行ったり左に行ったりして、なかなか思った通りにはいかなかった。

 公園があった。子どもが三人、顔を寄せ合って何か囁き交わしていた。それを遠巻きにする大人が三人、虚ろな目をしてベンチに座っていた。六人とも男だった。

 女のいない公園を迂回してほどなく、目指していた通りに出た。そこで足を止めた。

 ここで牛丼やドーナツを食うようでは、ただの阿呆でしかない。おれは阿呆でも構わなかったが、スニーカーをすすめてくれた靴屋の店員のねーちゃんのリストバンドにかけて、ここで負けるわけにはいかなかった。

 ドーナツを買って帰った。ドリンク代を節約して、いつか靴代にという、小さな一歩だった。食べる時間を少し遅らせれば若干太らない感じがするという、小さな抵抗だった。

 おれは歩き出した。ビニール袋がかさかさと揺れた。